鈴木翔 フロムオキナワ

こんにちは。鈴木翔です。 心は旅人、憧れはミュージシャン、実質はサラリーマン。おてやわらかにお願いします。

酒を控える決意

何万回と同じ事を悶々と考えている。

そして、こう新たな考え出した。

 

「酒鬱の状態で、悶々とどうしたら良いのかと考えても良い状態にはならない。岸が見えるドブ川の中を泳ぎながらどうしようと考えても仕方ない。まずは岸に上がるんだ。」

 

酒を控えていこう。

二日酔いによる頭痛も下痢も怖いが、本当に怖いの自分でも気づかないくらいの慢性的なひっそりとした酒鬱なのだ。

 

 

 

 

ストップザ不幸

幸せについて考えるうちに、不幸についても考えてみたくなった。

自分なりの不幸について。

 

恥ずかしさを乗り超えて白状しよう。

僕の不幸を。

 

僕の不幸は、

 

1.「好きな人からモテたいという気持ち」

 

2.「面食いと浮気性」

 

3.「酒のみすぎ」

 

というところから来ていると言って間違いないだろう。

自分で言っているのだから間違いない。

 

ひとつずつ整理していこう。

 

1の不幸は自分ではコントロールできない所に気持ちが向いている。

好きな人からモテるかどうかは、その人が決める事であるからして、僕が決められることではない。それなのにそのように無理な要望を持っている限り不幸だから、

今すぐその気持ちを捨てるべし。

 

2の不幸 面食いは損である。幸せな人は、好きな人の事は中身も外見も好きと思える人だ。経験的に面だけで気に入る人の中身が自分と合う確率は高くない。それなのに自分好みの面の人が気になってしまい、中身が合わないとわかっていても、なんとか合う部分を探そうとしたり、合わない部分を無い事にしようとしてしまう。また結婚し妻がいるというのに関わらず、すぐに面の良い人を好きになって浮ついてしまう性分も不幸のはじまりだ。すぐにその気持ちを捨てるべし。

 

3.いうまでもない、飲みすぎはよくない。控えて体を健康に保つべし。

 

さて、以上の自分自身からの忠告を守れば、あなたは幸せになれると断言します。

私自身が保証します。

という心の声に対して、

それが出来れば苦労しないよ、と僕自身が言っています。

僕とは誰?私って何?心の声の正体って、、

 

そういう性格も不幸なところかもしれません。

 

※今日の文章はあくまで冗談です。

 

 

 

 

 

 

幸せですか?

「幸せですか?」

という簡単そうで難しいような質問。

 

そんな問いかけが正月夜更けの3時にやってきたので考えてみた。暇だから暇つぶしになっていい。

 

たとえば今日の昼、ホームレスの二人組を見かけた時、僕と一緒にいた小1の息子がホームレスの人に反応したため、それについていくつか話をした。詳細は省くが、僕は息子に

「家がないのは嫌だから人は働くんだよね。楽しく働けたらいいよね」

という、ありきたりな話でまとめたと思う。

でも同時に、かわいそうなホームレスがいれば、達観しすぎたホームレスの存在もなんとなく知っている。後者に関しては、ナヤミムヨウの幸せの境地である可能性がなくはない。

 

海外で気がふれてストリートキング(裸で町を歩く)をした事がある私はそれなりにパンチの効いた人生かもしれないが、ホームレスの経験はないため、俺もまだまだだな、と一瞬脳裏に浮かんだが、今のところ好んでホームレスになりたくはない。そんなパンチは要らないとさえ思う。普通の幸せで充分だ、、、

 

と、はい、出ました、普通の幸せ。

 

これもまた難しい。

そもそも「普通」って何?

というテーマが厄介だ。

 

だからひとまず「普通の幸せ」を

置いておき、「幸せ」についてだけ考えてみる。

 

他人と自分の境遇を比べてみた時、簡単に幸せになるし、不幸にもなる。

つまり、ホームレスとそうでない自分、

金持ちとそうでない自分、キラキラのインフルエンサーの生活と自分の生活。

 

ところがホームレスが幸せかどうかわからないし、不幸な金持ちもいる。盛ってるだけで心は寂しく虚しく満たされないインフルエンサーもいるだろう。

 

となると、比較した幸せは正解ではない。

そもそも幸せに正解はない。

 

誰がなんと言おうと、本人が幸せだ、と感じていれば幸せなんだろう。

 

幸せとは、「幸せだ〜」と感じている時だけ幸せなのであって、感じていない時は幸せではないのだろうか。文豪ドフトエフスキーは

「人間最大の不幸は、自分が幸せであると気づけない事だ」

とも言っておられる。言い得て妙である。

 

さて、

幸せだ〜、という瞬間については、快楽のドーパミンや癒しのオキシトシン、あるいは人によっては怒りのアドレナリンと鎮静化のエンドルフィンがドバドバ出ている時なのだろう。

 

例えば僕はこのように、どうでも良い駄文を記すのが好きだが、それは愚考しながら文章化しているうちに自分の気持ち、精神がどこか落ち着いてくる感覚があるからだ。いくらかはオキシトシンが出ているかもしれない。あるいは自分なりの発見があればドーパミンも出るかもしれない。

幸せだ〜、超気持ちいい~、とは特に感じないが、静かな喜びではある。

静かな喜びを持てる事は幸せな事だろう。

 

おそらく、総じて日本人は恵まれている。ラッキーな事に気づこう。

そして静かな幸せを持てる事、そう感じられる何かを自分の内に持つ事、恵まれた境遇に感謝する事が

幸せへの一歩かもしれない。

 

ところでおっと、忘れていた、ハッピーニューイヤー。

そんなワードがあったよね😸

あなたにしあわせがおとずれますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分」も幻想

宇宙の一部が僕であるならば、

僕はすなわち宇宙なのである。

そして同時に宇宙人である。

 

われわれは、自分を自分とか、

我々はわれわれだ、

とか言ったり、思ったりしている。

 

生きている意味を、つい考えてしまいがちなのだが、(私は)

 

本当は意味など無くて、なんとなくなぜだか進化の過程に今があって、たまたま世に生を受け、ついでに自我を得た我々が、自我とか我とか言っているだけだ。

 

君の事が好きだ

 

君が僕の全てだ

 

とか、真正面から本気で思ってぶつかって、

 

私も同じよ、、

 

とかいう人生って、

 

きっと、最高だよね笑

 

一人でビール飲み続けると、

そうなりがちな思考。

 

 

 

 

 

 

 

 

妄想と現実と

大抵の人には、ある程度妄想を膨らます時間があるのではないか?

 

宝くじに当たったらどうしよう。

過去に戻れるならいつからやり直そう。

 

といったものだ。

 

もちろん僕にもあるのだが、現実の生活を脅かすほど妄想にどっぷり浸かったり

する事はない。何より加齢が増す度、現実での生活時間を大切にする傾向にある。

 

でも、たまにはやはり、妄想が勝手に始まっていることがなくはない。

 

ただその性質が変わった。

 

宝くじに当たったらどうしよう→「当たるのは嬉しいとしても、管理や生活の急変によるデメリットが怖いから当たらなくてもいいかも、、」

 

とか、

 

あの頃に戻れるならいつからやり直そう→「過去に戻ったら、我が子には会えない。奥さんは探せば会えて、子どもも出来るかもしれない。でもその子は我々の子であっても、今の我が子とは別の子だ。ならば過去に戻らなくてもいいかも。」

 

という風に、妄想なのに考え方が現実的になっているのだ。

これは無駄な時間といえるのだろうか、いや、そうではない。

今の生活を大切にしようぜという、奥深い自分からのメッセージなのかもしれない。

 

そういえば、若い頃には時々あった、

 

「もうだめだ、死にたい、死んだ方がマシだ」

 

みたいな考えは、浮かぶ事がない。

 

まぁどうせいつか死ぬんだけどね。

加齢というのか、成長というのか、そういう変化の話でした。

ちなみに「モテてしまう妄想」というもあって、

これは今のところ昔と変わらず、妄想しながら純粋に「ムフフ」という

気持ちになれるので、純粋な妄想といえよう。

いいじゃないか、少しくらい夢を見たって。

原因論と目的論とアドラー

「私がこういう性格になって、こういう人生を送っているのは、親のせいだ」

 

と決めて、今の人生の不遇を親(過去の何か)のせいにする考え方をアドラーは「原因論」とよぶそうだ。その人は不遇を感じながら、親を批判することしかできない。

アドラーとは、フロイトユングみたいな歴史的レジェンドの心理学者。

 

そこでアドラーは「目的論」を推奨する。目的論とは、人生に目的を決めて、そこへ向かおうぜ、というもの。

 

「過去や境遇をいったん置いておいて、今、出来ること、やりたい事をやっていこうよ」というのは自分なりの解釈ですが、

今日、なんだかツボったので、記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

決めた時刻に妻を起こすテクニック

タイトルへの答えをまず記そう。

 

そのテクニックは、その時間の少し前に、

 

「興味のある話をして、相手の脳を起こす」

 

これだ。興味ある話を出して、相手が乗ってくれば、

その人はもう眠れなくなる。脳が起きてしまうからだ。

 

脳が起きたら、あとは体を起こすのだが、ここは少し事情が違って、

うまくいく条件がひとつあって、

 

それは、その相手が

 

「その時刻に起きたいと思っている」

 

事が必須となる。

それがないと決めた時刻に相手を起こす事は厳しいだろう。

 

その条件を満たしていた場合は簡単で、

 

なぜその時刻に起きたかったのか、つまり何かやりたい事や

やるべき事があったはずなので、そこを思い出させる。

それでひとまずうちの妻は起きる。

 

それはひとつのテクニックとして、今日完成したテクニックだと

自負する。