鈴木翔 フロムオキナワ

こんにちは。鈴木翔です。 心は旅人、憧れはミュージシャン、実質はサラリーマン。おてやわらかにお願いします。

おら、こんな村、いやだ。

脱衣所の洗面所で毎日自分の顔を見る。

 

ほとんど365日毎日見ているのに、

ある日突然、完全なる自分の老いを感じる。

それが昨日。髪を短く切ったからだろう。

 

多分、老いた自分を認めたくないのだ。

認めたくないけれど、歴然とした事実としてそこにあるのに、

やっぱり認めたくないから、若い頃のままの髪型で居続けて、

老いをないことにしていた、、のではないかと、自己を考察する。

なにしろ、気持ちだけは本当に20歳の頃とほとんど変わっていないのだから。

 

自分の老いを認めていながら、認めていないという感覚。

それをようやく心から認めたものだから、今日一日は

被害妄想的に自意識が発動して、

 

人と目が合う度、

 

「こいつ老けてんな」

 

と思われている妄想にとらわれた。

それは妄想とわかっている。

人はそれほど他人を見ていない。

人はほとんど、自分を見ている。

 

 

老いを抱えて、

当たり前のものとして生きていかねばならない。

天気がうつろうのを自然な事として受け入れているように、

自然な事として受け入れたい。

 

若い事が良いことだ、という人間社会、文化に洗脳されているのだ。

 

洗脳から解き放たれ、自然のまま、自由にいきていきたい。

 

と、ビール飲むと自由になるのだ。なんじゃそら。

 

 

※追記 ブログ記事のタイトルをAIがつけてくれる、という機能を試したところ、

いくつかAIがタイトルを提案してくれた。

 

そのいずれもが的を得ているのだが、

いずれもが面白くはない、と感じた。

そんな中で、じゃあ俺だったらこんなタイトルにしよう、と思って、

AIに対抗するような感じでついたのがこのタイトル。

もちろんパクリ(オマージュ)だ。

人の心に深く突き刺さってしまうもの、

あるいはヒットしてブーム化するもの。

 

AIのブームは来るのだろうか、

くるのだろうね。

初音ミクはAIではないけど、ロボット的なものでは一番売れたのではないかな。

アイボとか、いたけどね。

ああ、脳が暴走しだした。おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄ローカル事情

私が今住んでいる場所は沖縄県那覇市サンライズ通りという

商店街のほど近く。

現在は多くの「せんべろ」の店が立ち並ぶような繁華街となっている。

ここ5年ほどその勢いはとどまらず、多くの店がどんどん参入している。

 

さて、日曜の今朝、朝のウォーキングに行ってきた。

中年として、運動を習慣化していきたいところだ。

 

それはともかく、近所の樋川というスぺースを通ると、

以前は古くからの沖縄の街なみという感じだったのが、

おしゃれなカフェ、おしゃれな食事処、若者が喜びそうな

バーガーカフェなどが並んでいる。早朝から開いているらしいカフェもあり、

朝の8時くらいの時点で車でテイクアウトする人や店内でゆっくりする人が

朝の8時にしては多くいる印象だった。

 

「最近、若者向けな感じに発展しているらしいよ」と、なんとなく噂は耳にした

事があったが、実際歩いたのは初めてだった。

 

思えば先に挙げたサンライズ通りも、古き良き沖縄の古びた商店街だったが

そこへ色んな種類(せんべろ、おしゃれ系、専門店)の飲食店をはじめ、

古着屋や雑貨屋などがどんどん増えて地域の活性化として機能している。

ホテルが建ったり、どでかいマンションが建設中だったりする。

住んでいる方としては日々騒がしくはなったが、出て行きたいと思うほどでは

ないし、こちらもギターやピアノを弾いたり、幼い息子がうるさくしても

気をつかう必要がないのが楽ちんでよい。

 

サンライズ通り周辺は空き物件はもはや少なく、家賃も高騰しているようだが、

樋川あたりはまだ空き店舗はあるという印象を受けた。家賃相場までは知らない。

 

何か私もはじめてみようか、何が出来るだろうか、

キッズスペースの充実したバー、なんてどうだろうか、

なんて夢想する日曜の朝。

 

 

受け入れたら楽ちん

私は非常にシャイなのです、が、

 

そのシャイおじさんが、そのシャイさを受け入れられない時、そのシャイさのおかげで「人生に対して損をしている」と思う時、

 

そのシャイさは肥大します。

 

 

反対に、まぁシャイでもいいか、と

思えた時、そのシャイさは、軽減されます。

 

 

まぁ、いいか、それでやっていくしかない、

 

と、あきらめて受け入れた時、

 

案外、それは影を潜めたりする、

 

という真理を発見。

 

 

間違ってはいないよね?

 

 

 

 

 

自然に楽しみたい

色んな事象を楽しみたい、

 

が、

自然に楽しめないようになっているのが

今、だ。

 

不自然の極み、on、45歳。

 

今後は自然に楽しむようになるはずだ。

 

意識は「それ」を意識すると、

自然とそうなるようにそうすすめていく

能力を擁しているのだ。

スパイラルはおそろしや 

なかなか根付かないものが習慣だという話はご存じでしょう。

 

だからコツコツとやる事が大切で、

コツコツやるうちに習慣化されるのだ。

それ以外に習慣をつける術はない。

(そうでなければ望まぬ事故に合うとか、

想定以上の宝くじに当たる、くらいの事件が起こるしかない)

 

3日坊主という言葉は、やりたくて始めたはずなのに、

すぐにやめてしまう人の心をあらわした言葉だ。

やりたいはずならやればいいのに、

やりたくなくなって、すぐにやめてしまう人の心。

飽きやすいだけかもしれんがね。

 

だからこそ、気づかないうちに、

飽きずに続けていた事は大切にしたらいいのかもしれんね。

 

 

ところで新年から連日、毎日、日記ブログをアップする

試みをして、28日間続いた。

28日間続いたのだから、もっと他の習慣をつけよう、

という魂胆で、ひとまずその日記ブログを終了した。

 

それで何か代わりの習慣が根付いたのか?

 

Noである。

 

何も根付かず、それまでの何もなかった習慣が

ふたたび習慣として戻ってきただけだ。

 

そもそも僕はそういう、習慣をつけたいという習慣と、

身につかずに終わるだけ、それが習慣になっている、

という習慣がある。

 

そして習慣の本質を考察すると、

自分でなんとかしようと思った習慣など、

自分でも気づかずに築いてきた習慣に対して

ほとんど無力で、

他人からみたあなたというものは、

自分でも気づかずに築いてきたあなたの総体なのだろうなと思う。

 

あなたが気づいて築きたいと思ったあなたなど、

習慣化されるはずもないのだから、

それはあなたでもなく、誰から見ても認識されるものでもなく、

どこかにその想いだけが漂っていくだけだ。おわり。