鈴木翔 フロムオキナワ

こんにちは。鈴木翔です。 心は旅人、憧れはミュージシャン、実質はサラリーマン。おてやわらかにお願いします。

脳が起きてくる感じ

やりたい事がない、わからない、という人は多い。

 

でも我々(というのは、文句ばかり憧ればかり、サボったり、自分の事しか考えない我々の事だ)は、

 

実はやりたい事しかやっていない。

 

仕事をやめたいやめたいと言いながら、

やめない人は

 

「やめたいけどやめない、をやりたくてやっている」

 

と言える。

 

今日は大掃除をしよう、と思い立ったのに途中で懐かしいアルバムをみつけてずっと見てしまうという人は

 

「大掃除をしたいけど、途中でアルバムを見たいという願いがそのまま叶っている」

 

と言える。

 

そのように考えると、ほとんどの健康な人は、やりたい事しかやっていないのだ。

(病気の人やその家族などは少し事情が違う)

 

というより、やりたい事しか出来ないのが健康の証になっているのかもしれない。

 

僕は20歳を少し前に酒を飲み始め、酒が自分の人生をある程度支配した。支配した、という言い方は、依存性のある物だからそういう言い方をするのだが、本当は、飲みたいから飲んでいただけだ。

最近は飲むと次の日がダメになる。

数年前からそうなってきていたが、それでも飲みたくて飲んでいた。二日酔いのキツさが色んな形を変えてやってくるようになった。頭痛はけっこうキツくて、飲酒が割に合わないと思うようになった。だが頭痛薬が二日酔いにも効くと知り、それが飲酒を助けた。

 

最近は鬱である。二日酔いの日が鬱状態になる。鬱状態とはとてもキツいものだ。

 

そこで飲酒欲求を堪えて控えると、

健康な精神と体に戻る。

健康な精神と体でいるのはとても良い。

 

酒でハイになるのは「まやかし」だ、

とまでは言いたくないが、

楽しみの前借りだ、とくらいは言えよう。

ツケが返ってくる。

 

 

今は酒の事をひそかに「鬱の素ドリンク」とよんでいる。酒という文化的な呼び名を伏せ、鬱の素という恐怖感を煽る呼び名にした。立派なドラッグだが、ドラッグと呼ぶのもなんだかなぁという気持ちもある。

 

ただ、まだ飲みたい欲求はあり(ドラッグとはそういうものだ)休日の前だけは飲む。待ち望んで飲む。

不思議と休日の日は二日酔いでも鬱にはならない。←何か人生のヒントがありそうだ。

 

そんな日々になってきたのだが、飲まないと暇で、ゴロゴロスマホを見たりする。

スマホ(インターネット)も強力だが、

ゴロゴロして体力が回復してくると、

起き上がり、自分の考えをこうして記したりする。

 

酒やスマホを見る行為と、

ブログを記す行為には、

 

能動的と受動的の差がある。

 

人の事はどうでもいいけど、

俺は本当は能動的な喜びが好きなはずだが、

 

受動的な飲酒活動を能動的にしていた。

 

それによって慢性的なやる気の出ない二日酔いの状態とハイな酔っぱらい状態が常だったはずだ。

 

今後は是非とも、酒を控え、能動的な喜びで人生を満たしていきたい。

それがやりたい事だ。

 

 

 

という事を記すのは、ずっと何年前からやっている、やりたい事のひとつで、やり続けているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳を起こせば

凡庸な事をあまり言いたくはないのだが、

月曜の朝は憂鬱だ(凡庸だ)

 

それでもそれなりに早起きが出来るのは

加齢のせいかと推測する。

身体的な加齢の他にも精神的な加齢。

 

うちの奥さんは早起きが苦手なため、

基本、僕が彼女を起こす。

苦手な早起きをいかに心地よく起こすかが

僕の課題だ。眠たいという奥さんを

無理やり起こすのは本心ではない。

 

あれこれやってみて、これがいいと思うのは、

彼女の好みそうなトピックを話して興味を持たせること。

つまり脳を起こすことだ。

 

朝のねむたさ、まだ眠っていたいという気持ちは、

体と脳が眠っているからだ。

 

ついでに息子を起こす時はユーチューブキッズだ。

日常的にスマホはなるべく触らせないが、

4歳の彼はすでにスマホが大好きだ。

だから眠っていたい朝だけスマホでユーチューブキッズを

見せる。

その起こし方の是非は疑うが、ひとまず、

その寝起きの効果としては抜群だ。

 

今朝は月曜。月曜の朝の憂鬱を消すには

どうしたらよいか、その課題に対し、

文章を記すというやり方を試してみた今朝。

 

「脳を自分自身でいかに調整できるか」

それが今の僕の課題だ。

 

不謹慎な妄想

息子が軽中度難聴ということが最近わかったので、

それについて考える事があるのだが、

 

今、ふと、

 

「自分が今、この状態から聴力を失ったら」

 

という妄想にふけった。

 

しばらくは失意の底へと落ちるだろうが、

ドストエフスキーは言った。

 

「なんにでも慣れる特徴をもつのが人間だ」(訳はオレ流) と。

 

聴力を失ったことに慣れた頃から、音楽が素晴らしく楽しいものになるのでは

ないだろうか?

聴こえていた半生に培ったあれやこれやを駆使して音楽するのだ。

好きだった音楽を脳内再生する。弾いていたギターやピアノを

演奏し脳内再生する。

それはひょっとして、聴こえた時よりも音楽が生き生きとしてくるのではないか。

現実は時に無味乾燥だが、脳内再生は芳醇に潤っている。

 

という妄想。若干不謹慎な言い方だが、妄想してしまった。

 

息子はまだ幼いので、できれば聴こえる生活をしてほしいとのぞむが、

聴こえない人が不幸というわけでもないのだから、

聴こえてほしいという想いも、実は不謹慎なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

心のリミッター

リミッターという機械がある。

車やバイクについているリミッターは、本当はそれ以上

スピードが出るのに、安全のため、そのスピードを超えないように

決められたスピードになるとリミッターが働くように設定されている。

 

音楽やテレビにおいては、それ以上のボリュームになると音が

割れてしまうような時、音が割れないために、あるボリュームになると

それ以上大きくならないように作動するように設定されている。

それがリミッターという機械だ。

 

人間にもリミッターがついている。

たとえば、40代も半ばになると全力疾走や全力投球、全力でスポーツは

なかなかできない。

体を壊してしまうのが怖くて自然と、ある程度のところでリミッターが

作動する。

 

リミッターが効かないと、酒を飲みすぎて大変な事になったり、

食べ過ぎて大変な事になる。

 

そもそも酒はリミッターを無くす効果がある。

僕が酒が好きなのはリミッターが無くなるからだ。

どうして好きなことを我慢しなくてはいけないのか。

 

でも翌日がつらいので、飲み方にもリミッターを効かせざるを

得ないのが最近だ、トホホ。

 

 

人間関係にも、

嫌われたくないというリミッターが働く。

本当はこう思うけど、変な風に思われたくないから

多数派に流れる。

こうしたいけど、誰もやってなくて恥ずかしいから、仕方なく周りに合わせる。

 

 

子どもは大人ほどリミッターはかからないが、

大人は子どもに「我慢しなさい」と、リミットをかけるから、

子どもにもリミッターは設定(教育)されている。

子どもは優れた観察者だから、まわりを鋭く観察して適応していく。

 

抱っこして欲しいけど、もう4歳だから我慢する、

というようなものだ。どうして4歳だと我慢しなくてはいけないのか、

それは誰にも説明できない。ひろゆきを論破する説得力はどこにもない。

 

リミッターはただ、リミッターとして働いているだけ。

 

大人になったら自分のリミッターは自分で外したい。

そして自分でリミッターを設定したい。

それが大人、あるいは自立や自由、という事なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023 2月12日 買い物メモ

息子は飛行機に夢中

 

アレルギー性鼻炎の息子のために、

目薬を購入する。

 

息子の靴がダメになってきているので

購入予定。

ついでに自分のも買いたい。

思えば今履いている自分の靴(ニューバランス)はいつ買ったのだろう?

よく歩いているから、踵がだいぶ減っている。

 

こういう買い物をメモしておくと、いつか

役にたつかも??

 

ついでにクラウドワークスに登録。

副業をはじめた日。

28日目 最終日

6時ちょうど起床の今。

 

吸いたくもないタバコを嫌々吸う夢を見て、

おいしくないな〜、と目が覚めた。

すると口の中がすごく気持ち悪かった。

 

この日記を今日で終わる事にした。

習慣化に成功したとしよう。

それで、この日記を記す時間を別の時間に費やす事にする。すなわち、何かを毎日継続する事は続けるが、この日記を別の形のルーティーンへと移行する事にした、という事だ。スマホを触る時間を減らすというルーティーンも身につけたい。

 

時間には限りがあるから。

 

以上。