鈴木翔 フロムオキナワ

こんにちは。鈴木翔です。 心は旅人、憧れはミュージシャン、実質はサラリーマン。おてやわらかにお願いします。

人は死ぬまで変わらない

「人は死ぬまで変わらない」

 

自身を観察して発見して驚愕した。

 

幼い頃、親戚の大人によく

 

「あんたはおとなしい子だねぇ」

 

と言われたものだ。

特に批判的なニュアンスではなかったと思うのだが、

(むしろ好意的だったように思う)

 

 

「いいや、俺はおとなしくなんかないんだぜ」

 

と、いう気持ちが沸々としたものだった。

「あなたはこうだね」と断定されるのを嫌がる

天邪鬼気質があるのだ。

 

でも、

その気持ちを声にして説明するという事はほぼなかった。

つまり、相手から見れば

 

おとなしい子、という事になる。

物の見方と真実は、見る方向によって変わるものだ。

 

今ではおじさんになって、特にシャイな部分などはだいぶ少なくなったと

思うが、

それでも、相手に自分の気持ちや考えをそのまま伝えるという事を

しないまま、悶々沸々していることがわりとある。

(奥さんだけには別)

 

それを昔の自分と比べてみた時、

 

なんだ、まったく変わってないのだ俺は、

と気づいて驚愕した、、

 

というはなし。

 

あと、その昔、親戚の家には週刊ジャンプが沢山あって、

その中のちょっとHな漫画があって、それを隠れるように

ドキドキしながら観ていて、

こんな変態な世界にドキドキするなんて、俺は変態なんだ、

と胸に秘めた事が、自分のシャイさを増大させていたようにも思う。

 

それも結局今では変わらない。

特に性的に魅力的な人になど、直接話すときは理性が働くので

人間として普通に向きあうが、影ではそういう目で見てしまう。

本能だから仕方ないと今では居直っている。

それに男なんて健康だったらみんなそんなものなんだ、

というのが体験的にわかったので、

 

特に自分が特別ではないという認識が

自分のシャイさを軽減させていると思う。

昔に比べたら断然女性と話しやすくなっている。

年齢による性欲の減退も理由のひとつだろう。

 

だから僕はひそかに、シャイなやつというのは変態的要素を内に秘めているが

ゆえ、その後ろめたさからシャイになり、でもその変態的要素は特別な

ものではなく(ノーマル)、つまりただ自意識過剰なだけ、

という見解をもっている。

 

そして、上記したような考察は毎日めまぐるしく心の声として

日々ぐるぐるしているため、

 

「俺はおとなしい人間ではない」

と言いたくなるのだ。

 

でもやはり他人から見れば、そこまでうるさい方ではない、

という認識に至るわけだ。

 

ところでどうして口を噤むのだろう。

こんなにもブログには記して、できることならば

多くの人に見てもらいたいと思っているのに。

 

と、考察する中でひとつの答えが導かれた。

それは

 

「言わないでもわかってほしい」

 

という甘えた気持ちだった。

俺に注目して、わかるようになれよ、

という偉そうな目線だ。

 

あるいは注目される存在になりたいのだ。

しゃべらなくても何を考えているのか知りたいと思える

ミステリアスな存在になりたいのだろう。

そういう人間に惹かれる部分があるから、

無意識的にナチュラルに演じているのだろうか。

 

特に仕事の中で、自分都合ではなく、仕事がうまくいく、

つまりは「子どものため」とか「働く仲間のため」

という意識がうっすらと芽生えつつある今、

今後は少しずつ変わっていくと予想する。

 

「自分」や「自分らしさ」を第一優先しなくていよい。

そういうのを忘れて動いているうちに、

そういうものができていくのだろうし、

もはやその時、そういうものに意味はない。

 

今日でひとくぎりだ。

新しい今日がはじまっている。←ちょいクサやね。