鈴木翔 フロムオキナワ

こんにちは。鈴木翔です。 心は旅人、憧れはミュージシャン、実質はサラリーマン。おてやわらかにお願いします。

心のリミッター

リミッターという機械がある。

車やバイクについているリミッターは、本当はそれ以上

スピードが出るのに、安全のため、そのスピードを超えないように

決められたスピードになるとリミッターが働くように設定されている。

 

音楽やテレビにおいては、それ以上のボリュームになると音が

割れてしまうような時、音が割れないために、あるボリュームになると

それ以上大きくならないように作動するように設定されている。

それがリミッターという機械だ。

 

人間にもリミッターがついている。

たとえば、40代も半ばになると全力疾走や全力投球、全力でスポーツは

なかなかできない。

体を壊してしまうのが怖くて自然と、ある程度のところでリミッターが

作動する。

 

リミッターが効かないと、酒を飲みすぎて大変な事になったり、

食べ過ぎて大変な事になる。

 

そもそも酒はリミッターを無くす効果がある。

僕が酒が好きなのはリミッターが無くなるからだ。

どうして好きなことを我慢しなくてはいけないのか。

 

でも翌日がつらいので、飲み方にもリミッターを効かせざるを

得ないのが最近だ、トホホ。

 

 

人間関係にも、

嫌われたくないというリミッターが働く。

本当はこう思うけど、変な風に思われたくないから

多数派に流れる。

こうしたいけど、誰もやってなくて恥ずかしいから、仕方なく周りに合わせる。

 

 

子どもは大人ほどリミッターはかからないが、

大人は子どもに「我慢しなさい」と、リミットをかけるから、

子どもにもリミッターは設定(教育)されている。

子どもは優れた観察者だから、まわりを鋭く観察して適応していく。

 

抱っこして欲しいけど、もう4歳だから我慢する、

というようなものだ。どうして4歳だと我慢しなくてはいけないのか、

それは誰にも説明できない。ひろゆきを論破する説得力はどこにもない。

 

リミッターはただ、リミッターとして働いているだけ。

 

大人になったら自分のリミッターは自分で外したい。

そして自分でリミッターを設定したい。

それが大人、あるいは自立や自由、という事なのかもしれない。